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執筆者の写真えむ

人生を終える時にたどり着く安らぎ

彫刻家の方が


彫りたいものを

彫っているんじゃなくて


その木の中に元々

埋まってた


その像を形にしてるのだ


それは木を見ていたなら

彫っていたなら


浮かび上がってくるもの

なのだって


聴いた事がある

『ふ~ん』って感じ


今は実感してる

僕は書くべき事を書いてる


与えられてる

書いてない


午後8:25 · 2021年2月24日·Twitter Web App



自分で書いてないんだ


彫刻家が

彫らされてるというの


本当にそうなんだ


木に在るんだよ


その木が手に入る

材料が彫れと言ってる


ノミが滑る

それは木に滑らさせられている


失敗で無いんだ

失敗するべくして失敗してる


ノミに

腕を引っ張られてるんだよ


それは木の目のせいなんだ


木なんだよ




自分が

彫ってるんじゃないんだよ


そこに在る

ものを彫り出してる


元々あるんだよ


>失敗は失敗じゃないんだよ


誘い


だから僕はミスタイプを

そのまま残すんだ


現実でもそうだよ


『皆が成功したい』

人間は何時もそう


でも失敗は失敗でない

「それでよかったんだよ」





『大人はわかるだろ』

人生経験


言う事が解るよね

「それ失敗でなかったんだよ」


「それでよかったんだよ」


<人生の終わる時>

それが味わえる


>これでよかったんだ生きた


「自分は生きたんだって」


自分は何も間違ってない

1つの間違いもなかった


【自分はまっとうした】と


喜びに満ちて





だから憎む対象なんてないんだよ



{0追記0}

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最後を☝でRTしたんだ


僕は憎しみの感情を普通の人

の様には有してる訳でないの


逝っちゃうと

<無くなるんだよ>そういう事は全部を

置いていく


だから何処か正座していて

、しびれた足を指先で突く様にも遠く


実態感なく自分の感情を感じて眺めてる


それでも


辛らつなツイート

『矛盾してる』違うんだよ


僕は自分ではツイートしてない

これらは(みんな預かった言葉なんだよ)


僕のは僕が書いてない


<伝えるための表現手法なんだよ>

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