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執筆者の写真えむ

薬やってたような人ダメだよ?来ちゃダメ。 だけどキャパ的には脳には全てを完全に記憶してていくらでも収納できる んだって云われたの聴いてる。 いくらでもって大げさな言い方なのかもしれないけれど?

僕は子供の時のことを一般の人から比べたら異様に覚えてるんだけど

2つ要因があると思う。


臨死体験したときにれーの走馬灯を見てる。

覚えてるはずないって様な忘れてることを映像でハッキリ想い出してる。


それがなんていうか?目印?になって間と間が記憶としてつながって

甦り易くなってる。切っ掛け



マイルストーンみたいな一里塚が記憶のインデックスみたいに立ってる感じかな?

ページに符丁が付いてる。


それで再整理もされてるんだろうな。

脳内が知識と記憶で臨死体験を境に再整理統合がなされて?


引き出しや結合がなされやすく成ってる?単純に言うと頭良くなってる。

処理速度が上がって多方面でアナロジーで巡り繋がってる?そんな感じになってる。


それと僕は悩む。

くよくよクドクドと同じことを考えあわせて反省して他に方法はなかったのか

本当にそれでよかったのとずっと考えてる。そりゃ憶えてるわな。


その付近の記憶もよみがえり易い。

関連も覚えてる。


そりゃ凄いって思うかもなんだけど?

結構、怪しいんだよな。


古い記憶程、間をつなげるのに造ってる可能性が高くなってるんだ。

その延長でどうやら生まれる前のその前の記憶もある感じになってるんだけど?


どうも作ってるんだろうな?危ない人だ?だけど実感であるんだよな。

そんで独特の感覚を感じてる。人は輪廻を繰り返してる。


だから死にそうかもって思ったとたんに?

また生まれてあの感じで今回もだけど生きるの大変。


それでもまた生まれてきてまた恥ずかしい人生を送るんだよ。

あーあ死んでいいかって感情になるん。


でももうチョッと頑張ろ。もう少し生きよう。

あの電柱まで走ろうってマラソン、果てしなく走ってる感じするんだ。


その話の作り方が夢みたいな感じなんだな。

間を繋げてる合成の記憶が夢を見る時に造ってる記憶と曖昧になってくる。


僕が疑り深くて自分も自分の記憶もそう疑ってるから正気を保ってると

思うんだけど。


初めて書き込んでることなのに。

前に同じこと描いた気がしてきて?(実際あるんだろうけど老人話)


書いた後の文章を?前から見てて始めから知ってたような気がしてくるん。

時間の感覚と観念が狂ってくる。


だから一々評価しないとダメなんだけど結構、大変。

それで投げ出してまあいいやめんどくさいって?


適度にいい加減だから保ててるんだと思う。

僕の後から来てる人、正気を保つの大変な道のりだ。


薬やってたような人ダメだよ?来ちゃダメ。


だけどキャパ的には脳には全てを完全に記憶してていくらでも収納できる

んだって云われたの聴いてる。


いくらでもって大げさな言い方なのかもしれないけれど?

容量が何百年分もあるんだったら?


寿命が百歳そこそこならいくらでもだよね?そういうことなのかな。


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